一道(ひとみち)抜けた巨匠の珠玉の言葉
前回投稿の続きです。
「秋山章の世界展」初日は先生のご講演がありました。
言葉に尽くせぬ感動があり、婚礼に関わる全ての方にお聴きいただきたかったと思います。
私はご縁あってその司会を務めさせていただきました。
和服の愛好家の方やその道のプロの方々も多々お出でになる中、私も初めて和服での司会をさせていただきました。
結納、結婚式後のご挨拶回りの時以来の訪問着に袖を通すと、花嫁支度を整えてくれた時の母との思い出が蘇りました。
数多くいただいていた秋山先生の資料やラジオご出演の際の音源を元に、私なりにご紹介を一生懸命考えて臨みましたが、打ち合わせでお目にかかった先生は御年90歳とは思えぬ若々しさと風格品格の光を纏っていらっしゃいました。
毎日朝4時起きでジョギング、帰宅後は腹筋腕立て伏せを50年間欠かしたことがないそうです。
何事も元気な体があってこそとおっしゃっていました。
(とても真似できませんが・・)本番前にもかかわらず長時間お話してくださり、すでに感動の連続でした。
一言ひとことの重み、深み、響き、美しさがどこまでも、心に沁みわたるお話を拝聴できたことは実に貴重なことでした。
先生の力強い声は、魂が震えるほど心に深く響きました。
会場には27年前秋山先生の打掛をお召しになったという方、遥々金沢からお越し下さった秋山先生のファンの方もいらっしゃいました。
70年間もの間、花嫁衣裳一筋に創作の道を歩んでこられた先生ですが、この道に入るきっかけは10代のころに偶然目にした花嫁さんの美しさに魅了されたことだったそうです。
そして18歳で故郷山梨から単身京都へ。
そこから独学で染色工芸を学び、本手描き友禅の婚礼衣装制作の道に入られました。
「衣は人格の衣なり」
そして婚礼衣裳は「祈りの衣」「儀式の衣」
その儀式と祈りの衣を、私は職人とともに命を出し尽くして制作している。
結婚式は
人と人が結ばれる儀式
そして、夫婦だけではなく、一族と一族が結ばれる儀式。
人と人が結ばれる結婚式は実に尊い儀式である。
できることなら、日本人には
日本の空の下、日本の土の上、日本の神様の前で
結婚式を挙げて欲しい
はじめは南の島で二人だけで結婚式を・・と思っていた人にも、本当の結婚式の意味を伝えると日本人の心が蘇ってくる。
日本人の心の中には誰でも「祈り」のDNAがちゃんと宿っている。
だからそういう大切なことをきちんと伝えていかなくてはならない。
約20年間結婚式に携わってきた私にとってこのお言葉には感極まるものがありました。
結婚に対する価値観、結婚式への価値観が多様化している今こそ、この原点を見つめ直す時ではないかと思います。
愛之助さん、紀香さんも本物の結婚式とは何かを真剣に考えられ、それぞれが模索されていた中で、偶然にもたどり着いた先が秋山章先生だったそうです。そうして生まれたご縁から紀香さんの素晴らしい打掛が生まれました。愛之助さんの松嶋屋という屋号にちなみ、紀香さんの打掛には美しい松が数多く描かれていました。素敵ですね…。
洋装でのチャペル式を否定する訳ではありません。
かく言う私も、その挙式スタイルを選んだ一人です。
ですが、婚礼の仕事をするようになり、様々な想いに触れる中で、和婚の素晴らしさを心から実感できるようになりました。
数年前「和ごころ結婚式 いとむすび」の司婚者として学んだのもそんな思いからでした。
先生の70年の制作活動の中には常に幸せへの「祈り」と、日本古来の伝統文化やご先祖様から受け継がれてきた命や家族の絆を守り続けるという信念がおありです。
そしてこの道に入る前、宮大工だったお父様の元で修行された3年間がありました。
その時に「一道(ひとみち)抜ける」ということを教えられたれたそうです。
それは「修行に修行を重ねなければ道は究められない」とうこと。
その教えを胸に、70年もの歳月を花嫁衣裳づくりに捧げてきた秋山先生は、ご自身のことを「私は打掛オタクですね・・」とにっこり。
卒寿を迎えられた今なお精力的に制作活動をなさっていて、来年2020年の東京オリンピックに向けて進められている
KIMONOプロジェクトでは、「イスラエル」をイメージした着物制作を担当なさっています。
ぜひ、オリンピックの際はご注目くださいね。
「命に限りあり 友禅に限りなし」
巨匠 秋山章先生にしてこのお言葉。
モノを創り出すという仕事はどこまでも深く無限なのですね。